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俺×LIFE

一言 gallery

自分に打ち勝つことは勝利のうちで最大のものである。


古代ギリシア 哲学者

Platon (プラトン).
紀元前427年-紀元前347年


「徳は一種の健康であり、美であり、魂のよい在り方なり。
それに反し、悪徳は病気であり、魂であり、弱さなり。 」

アカデメイアという名で学校を開いた人物。 そのためプラトンの後継者はアカデメイア派と呼ばれる。

プラトンとアリストテレスの思想は西洋の哲学の大きな源流となった。

また、その理想とした社会像は共産主義におけるプロレタリアート独裁にも深い影響を与えたとされる。

著「ソクラテスの弁明」「国家」など

時は貴重であるが、真実はそれよりもっと貴重である。


イギリス 政治家

Benjamin Disraeli (ベンジャミン・ディズレーリ) .
1804年-1881年


「人生は運命にほかならない。青年は過ちを犯し、壮年は争い、老年は悔悟する。 」

イギリスのヴィクトリア朝の政治家であり、宿敵ウィリアム・グラッドストンと共に
ヴィクトリア期のイギリス政党政治を牽引した人物。

1876年に伯爵を授けられ、ビーコンズフィールド伯となった。 なお、ビーコンズフィールド伯爵位は
彼の死後は誰にも継承されず、廃絶した。

真実には特定の時などない。真実はどんな時代にも真実である。


フランス 著述家

Bernard le Bovier de Fontenelle (ベルナール・ル・ボヴィエ・ド・フォントネル) .
1657年-1757年


「幸福とは、そのまま変わらないで欲しいような、そのような状態である。」

イエズス会のコレージュで学んだ後、父の職業を継いで弁護士になるが、裁判で1回弁護したのみで辞めてしまう。

あと1月で100歳の誕生日を迎えようとする1757年1月、パリで死亡。

著 「世界の複数性についての対話」

成功というものは、風に吹かれる穂波のように、それに対して人が身をかがめ、そののちに再び身を起こす、そういう成功があるだげだ。


オーストリア 詩人

Rainer Maria Rilke (ライナー・マリア・リルケ) .
1875年- 1926年


「私の運命は何一つ運命を持たないことです 」

独特の言語表現による詩は、ドイツ詩に新たな一面を切り開いた人物。
20世紀のドイツ文学の代表者の一人であり、ドイツ文学史を通して見ても
最高峰の詩人の一人に数えられる。

また独自の宗教観や時代に対する不安や苦しみといった概念は、
20世紀を象徴するようにも捉えられている。

著「わがための祝い」「鎮魂歌」など。

しばらく二人で黙っているといい。その沈黙に耐えられる関係かどうか。


デンマーク 哲学者

Saren Aabye Kierkegaard (セーレン・オービエ・キェルケゴール) .
1813年-1855年


「欺かれる者は、欺かれない者よりも賢く、欺く者は、欺かない者よりもよい。 」

セーレン・オービエ・キェルケゴールはデンマークの哲学者であり、今日では一般に実存主義の創始者、またはその先駆けと評価されている人物。

また、彼の名字であるキェルケゴール(Kierkegaard)はデンマーク語で「教会の庭(英語:church garden)」であるとともに、それはまた「墓地(英語:churchyard,cemetery)」をも意味する。

デンマーク人は墓地を陰気で不吉な場所とは考えていないのは事実だが、「教会の庭」という名字になった理由は彼の「生涯」に深く関係している。

著「死に至る病」「愛の業(わざ)」など。

勝利は苦戦のあとに来る。


フランス 政治家

Georges Clemenceau (ジョルジュ・クレマンソー) .
1841年-1929年


「平和を手に入れるより、戦争を始める方がはるかに易しい。 」

南北戦争中のアメリカに留学。同時にフランスの新聞の特派員を勤めた人物。

ドイツの分割政策に反対。フェルディナン・フォッシュ元帥と対立して訴訟合戦となった。

「ドイツの方角を睨んだまま、立った姿勢で埋葬してもらいたい」と遺言し、その通りに葬られた。

多くの愚者を友とするより、一人の知者を友とするべきである。


古代ギリシア 哲学者

Demokritos (デモクリトス) .
紀元前460年-紀元前370年頃


「何もかも知ろうとして苦労はするな。さもないと、何ひとつ覚えられない。」

トラキア地方のアブデラ(Abdera)の人。レウキッポスを師として原子論を確立した人物。

財産を使いはたして故郷の兄弟に扶養されたが、その著作の公開朗読により100タレントの贈与を受け、国費で葬られたという。


哲学のほか数学・天文学・音楽・詩学・倫理学・生物学などに通じ、その博識のために〈知恵 Sophia〉と呼ばれた。 またおそらくその快活な気性のため〈笑う人 Gelasinos〉とも称される。

真実を探している者を信じよ。真実を見つけた者は疑え。     


フランス ノベール文学賞受賞作家・小説家

Andre Paul Guillaume Gide(アンドレ・ポール・ギヨーム・ジッド) .
1869 -1951年


「海岸を見失う勇気がなければ、新しい海は発見できない。」 ゲーテ勲章を授与され、ノーベル文学賞を受賞した人物。

反戦・反ファシズムの運動に参加したほか、殖民地の惨状に目を向けるなど広く社会問題に取り組み、『ソヴィエト紀行』でスターリン体制を痛烈に批判した。

小説には、妻をモデルにした『背徳者』『狭き門』などを発表。1最愛の妻が亡くなると深い孤独感に陥り『今や彼女は汝の中にあり』を発表。

『法王庁の抜け穴』など、キリスト教的道徳からの解放を訴えて宗教界を揶揄する作品を発表。欧州の広範囲に渡って文学的影響を与えた。

ジッドの全著作はローマ教皇庁により禁書の扱いを受ける。

日本では、和気津次郎により紹介され、石川淳、横光利一など、当時の文人たちに多大な影響を与えた。

1889年、ダンテの『神曲』地獄篇に登場する『地獄の門』を覗き込む男を一つの彫刻として発表した。

著作「田園交響楽 」「一粒の麦もし死なずば」「贋金つくり」など。


何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、
君を突き貫くもののことです。


フランス 彫刻家

Francois Auguste Rene Rodin (フランスワ=オーギュスト=ルネ・ロダン) .
1840 -1917年


「情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない。」

19世紀を代表する彫刻家で『近代彫刻の父』と呼ばれた人物。

警視庁の書記の息子として生まれる。

芸術家の登竜門であった国立美術学校エコール・デ・ボザールの入学試験に臨むが、三度落ち断念。 それ以後、古代ギリシアのペイディアスとルネサンスのミケランジェロを師として、独学で彫刻を学ぶ。

1864年、『鼻のつぶれた男』をサロンに出品するが酷評され、以後作品を発表しなかったが、 1875年、イタリア旅行でミケランジェロの作品と出会い強い感銘を受け、2年後、長い沈黙を破り『青銅時代』を出展。 ロダンの名はフランス中に広まった。

1889年、ダンテの『神曲』地獄篇に登場する『地獄の門』を覗き込む男を一つの彫刻として発表した。

作品「カレーの市民」など。

私達はいわば二回この世に生まれる。 一回目は存在するために、二回目は生きるために。


フランス 哲学者 政治思想家

Jean-Jacques Rousseau (ジャン=ジャック・ルソー) .1712 -1778年

「慣習とは反対の道を行け。そうすれば常に物事はうまくいく。 」

1731年にジュネーブを離れ、ヴァラン男爵夫人に庇護されながら、さまざまな教育を受け、その愛人となった。

この時期については晩年、生涯でもっとも幸福な時期として回想している。

ルソーの政治思想の特徴は、他にも「社会契約説」(国家は人民間の契約により形成されたものであり、歴史的・伝統的要素は排斥すべきとする考え)にも見られる様に、従来の価値観や伝統などの慣習から解放された個人を理想とするところにあるといえる。

著「エミール または教育について」「告白」など。

雨は一人だけに降り注ぐわけではない。


詩人

Henry Wadsworth Longfellow (ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー) .1807 -1882年

「ときとしてわれわれは、ひとりの人間の徳からよりも失敗から多くのことを学ぶだろう。 」

母方からは、メイフラワー号の乗船者であるプリシラ・アルデンを始め、歴代大統領を多く輩出したジョン・ラスロップ牧師の血も受けていた人物。

父親は弁護士であり、母方の祖父ペレグ・ワーズワース・シニアはアメリカ独立戦争中の将軍であった。

著「ポール・リビアの騎行」

これから私は幸福を求めない・・・・・私自身が幸福だ


詩人、随筆家、ジャーナリスト、ヒューマニスト

Walter Whitman(ウォルト・ホイットマン) .1819 -1892年

「若い女は美しい――しかし老いた女はいっそう美しい。 」

超越主義から写実主義への過渡期を代表する人物の一人。作品には両方の様相が取り込まれている。

アメリカ文学において最も影響力の大きい作家の一人でもあるが、発表当時の作品に対する評価は大きく割れ、しばしば「自由詩の父」と呼ばれる。

ニューヨーク州ロングアイランドに生まれ、ジャーナリスト、教師、公務員として働き、南北戦争に志願看護師として従事する傍ら、詩を出版する。

1855年に自費出版されたホイットマンの代表作『草の葉』は、アメリカの叙事詩を市井の人々に届けようという試みであった。
ホイットマンは1892年の死まで、この作品の拡充、改訂を重ねた。

それぞれの版には、時代の風潮や作者の思想の変化が反映されている。

著「草の葉』

過去に興味はない。未来に興味がある。

     なぜなら、そこで残りの人生を過ごすことになるからだ。


発明家・社会哲学家

Charles Franklin Kettering(チャールズ・フランクリン・ケタリング) .1876 -1958年

「成長は与えられるものではなく,自らの手で勝ち取るもの 」

米国オハイオ州ラウドンビル生まれで、農業、先生、メカニック、エンジニア、科学者でもある。

オハイオ州立大学で電気工学を専攻、1904年に卒業し、新しいアイデアというものはチームであればこそ進化させることができるとの考えをもち、 興味関心事にこれを広く適用した。

自動車関連の研究のため、エドワード・A・ディーズと共に、1909年、デイトン・エンジニアリング・ラボラトリーズ・カンパニー(デルコ)を創設。

ケタリングとディーズとは事業においても、専門家としても、また、個人としても生涯の友だった。

デルコは、1920年にゼネラル・モーターズ(GM)に売却され、ゼネラル・モーターズ・リサーチ・コーポレーション(General Motors Research Corporation)、 およびデルコ・エレクトロニクス(Delco Electronics)に発展する。

売却したケタリングはゼネラル・モーターズ・リサーチ・コーポレーションの副社長となり、その後27年
間、GMの研究所を率いた。

毎日を最後の一日のように思って生きよ。


古代ローマ 政治家・思想家・詩人

Lucius Annaeus Seneca (ルキウス・アンナエウス・セネカ) .紀元前4年-紀元前65年

「もし君が人に愛されようと思うなら、まず君が人を愛さなければならない。」

治世初期に皇帝ネロのブレーンを勤めた人物。

またストア哲学の徒としても著名で、劇作も行っており、ラテン文学の白銀期を代表する著述家とされる。 ローマ市民としてコルドバに生まれ、皇帝ネロの家庭教師も務めた。

ネロが皇帝に即位した後はその政策の助言を行うが、のちにその立場から退き、 最後はネロ暗殺の陰謀に加担したとしてネロから死を命じられ自殺する。

著「幸福な人生について」など。

変化こそ唯一の永遠である。


日本 美術家 思想家

Tenshin Okakura (岡倉 天心).1863-1913

「われわれは、われわれの歴史の中にわれわれの未来の秘密が よこたわっているということを本質的に知る。」

東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に貢献。日本美術院を創始した人物。

幼い頃から英語教育を受け、英語が得意だったことから、東京開成所講師のアーネスト・フェノロサの助手となり、フェノロサの美術品収集を手伝う。

1886年から翌年に掛けて東京美術学校設立のため、欧米に視察に赴く。帰国後、美術雑誌『国華』創刊。

1890年から東京美術学校・校長を務め、横山大観、下村観山、菱田春草らを育成。その一方、フェノロサらとともに全国の古美術調査を行う。

「日本の目覚め」をロンドン、ニューヨークから英文で出版し、東洋の優秀性を主張するとともに日本の役割を強調する。

著「東洋の理想」「茶の本」など。

労働をなさざる人に真性の快楽は決して与へられず。


日本 小説家

Takeo Arisima (有島 武郎).1878-1923

「愛の表現は惜しみなく与えるだろう。しかし、愛の本体は惜しみなく奪うものだ。」

志賀直哉や武者小路実篤らとともに「白樺派」の中心を担った人物。

ハーバード大学でホイットマンやイプセンらの社会主義に傾倒。また、西欧文学、ベルクソン、ニーチェなどの西洋哲学の影響を受けた。

同人誌「白樺」に参加し。「かんかん虫」「お末の死」などを発表。後、「或る女」を発表。
婦人公論記者で人妻であった女性と軽井沢の別荘で心中。

著「生まれ出づる悩み」「迷路」など。

嘆かわしいことに、ほとんどの人は手段だけ考えて目的を考えない。

各人はそれぞれの職務をいかに果たそうかと考える。

しかし職務の選択については運命の与えるままにまかせている。


フランス 数学者・哲学者・宗教家

Blaise Pascal (ブレーズ・パスカル).1623-1662

「人からうまく思われたいなら、自分のいいところを並べ立てないことだ。」

数学・哲学など多方面で天才的才能を発揮した人物。
ポール・ロワヤル学派に属し、ジャンセニスムを代表する著作家の一人でもある。

数学においては、「パスカルの定理」にその名を残している。
日本人にも馴染み深い「人間は考える葦である」や「クラオパトラの鼻が短ければ―」なども
彼の有名な言葉である。

著「パンセ」など。

幸福は幸福の中にあるのではなく、幸福を手に入れた瞬間にある。


ロシア 小説家

Fyodor Mikhailovich Dostoevsky (フョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキー).1821-1881

ロシア文学を代表する人物。

モスクワの貧民救済病院の医師の次男として生まれる。
1846年『貧しき人々』を発表。批評家ベリンスキーに「第二のゴーゴリ」と激賞され
華々しく作家デビューを果たす。

1849年に空想的社会主義サークルの会員となったため、官憲に逮捕され死刑判決を受けるも、
処刑間際で特赦が与えられる。しかし、1854年までシベリアで服役。
後に、この時の体験に基づいて『死の家の記録』を著す。
他にも『白痴』などで、死刑直前の囚人の気持ちが語られるなど、
この事件は以後の作風に多大な影響を与えた。

刑期終了後、『罪と罰』を発表し、高い評価を得る。
晩年には集大成ともいえる長編『カラマーゾフの兄弟』を脱稿。

著「白痴」「未成年」など。

創造的たろうとして脇道にそれてはならない。

通常なされていることを観察し、

それをよりよくしようと努力すればそれでよい。


スペイン 建築家

Antoni Placid Guillem Gaudi i Cornet (アントニオ・ガウディ).1852-1926

「世の中に新しい創造などない、あるのはただ発見である。」

スペイン・カタルーニャ生まれ。
幼年期を自然の中で過ごし、当時の自然との触れ合いが、
自然の造形の観察と分析からデザインを導き出す設計手法に影響を与えた。

1873年から1877年の間、バルセロナで建築を学ぶ。
その後、コローニア・グエル教会堂(1898〜未完成)、グエル公園(1900〜1914)、
カサ・バトリョ(1904〜1906)、カサ・ミラ(1906〜1910)等、
20世紀を代表する建築物を創り出す。

建築物の生き物のようなデザインは、ル・コルビジェのような
シンプルで機能的なデザインと対極の位置にあった。
それは、「建築は有機体を創造する。それゆえ、この有機体は、
大自然の法則に合致した法則をもたなければならない」
という設計コンセプトから来ていた。

1914年頃、サグラダファミリアの建設資金が底を尽き、建設中断の危機に見舞われる。
1926年、教会に行く途中に路面電車に跳ねられ、この世を去る。 享年73歳。

作品「グエル公園」「サグラダファミリア」

音楽は世界語であり、翻訳の必要がない。

そこにおいては、魂が魂に話し掛けている。


ドイツ 作曲家

Johann Sebastian Bach (ヨハン・ゼバスティアン・バッハ).1685-1750

「音楽は精神の中から、日常の生活の塵埃を除去する。」

「近代音楽の父」と称される人物。モーツァルトに大きな影響を与えた。

一般に「バッハ」といえば本作曲家を指すが、バッハ一族は音楽家であり
その他のバッハと区別するために通常J.S.バッハと表記される。
また古くからバッハ家でもっとも偉大であるという意味で大バッハと呼ばれることもある。

バッハは幅広いジャンルにわたって作曲を行い、オペラ以外のあらゆる曲種を手がけた。
彼の遺した作品とそこに用いられた技法は、いわば西洋音楽のエッセンスを
凝縮したものと言うことができるだろう。

それゆえに、現代においてもなお新鮮さを失うことなく、ポップスやジャズに至るまで、
あらゆる分野の音楽に応用され、多くの人びとに刺激を与え続けている。

作品「ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ」「フルートとチェンバロのためのソナタ」
「ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ」など。

沈黙しているとき私は充実を覚える。

口を開こうとすると、忽ち空虚を感ずる。


中国 小説家・翻訳家・思想家

Rojin (魯迅).1881-1936

「夢はいいものです。そうでなかったら、お金が大事です。」

本名は周樹人(ピンイン)で、ペンネームの魯は母親の姓だといわれている。
浙江省紹興市出身。左翼作家連盟を結成し、その指導者となった人物。
死ぬまでマルクス主義を擁護した。
4歳下の弟にやはり文学者・日本文化研究者の周作人がいる。

特に狂人日記は、文語主体の旧来の中国文学を口語主体とする点で画期的だった他、
被害妄想に駆られている狂人の心理を実にリアルに描写する点においても、
わずか15頁の短編作ではあるが近代中国文学の最高傑作ともいわれ、
日本のみならず欧米諸国の中国文化研究者間では高く評価されているようである。

なお、魯迅自身が若い頃日本の仙台医専(現在の東北大学医学部)に留学した経験があり、
彼の親戚に、本物の被害妄想患者が存在し、 彼を見聞したことが、
この作品を着想するヒントとなったと言われている。

著「阿Q正伝」「狂人日記」など。

心の数だけ恋の種類があってもいいじゃないか。


ロシア 小説家

Lev Nikorajevich Tolstoj (レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ).1828-1910

「過去も未来も存在せず、あるのは現在という瞬間だけだ。」

ロシア文学と政治の両方に大きな影響を与えた人物。
19世紀を代表する小説家のひとりで、「アンナ・カレーニナ」「戦争と平和」など現代でも読まれ続けている作品を手がけている。 平和主義者としても有名である。

著「アンナ・カレーニナ」「戦争と平和」など。

人は生きねばならぬ。生きるためには戦わねばならぬ。

名は揚げねばならぬ。金はもうけねばならぬ。


命がけの勝負はしなければならぬ。


日本 小説家

Tokutomi Roka (徳冨蘆花).1868-1927

「子を知ること親に如かず。子を知らざることまた親に如かず。」

明治31年(1898)から国民新聞に連載した「不如帰」は明治屈指のベストセラーとなり、
それに続く「自然と人生」「思出の記」などにより小説家としての地位を確立した人物。

日清戦争を契機に、平民主義的な立場から国家主義へと蘇峰が思想的立場を 転じていく中で、
1903(明治36)年には民友社を去り、自費出版した「黒潮」の巻頭 に、
兄との決別を告げる「告別の辞」を掲げる。

その後、富士山登頂中に人事不省に陥り、回復の過程で「再生」を体験。
パレスチナへの巡礼とトルストイ訪問などを経て半農生活に入り、
特異な宗教的な確信へと傾斜していった。

本人は「徳冨」(「富」ではなく「冨」)の表記にこだわり、
各種の文学事典、文学館、記念公園などは「冨」の字を採用している。

著「不如帰(ほととぎす)」「灰燼」など。

太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く。

ドイツ 詩人・戯曲家
Friedrich von schiller (フレデリック・ヴァン・シラー).1759-1805

「苦痛は短く、喜びは永遠である。」

ゲーテとともにドイツ古典主義の黄金時代を築き上げた人物。
若い時にはシュトルム・ウント・ドランクと呼ばれる文芸運動に参加し、
この運動で感情の力を強調しようとした。
戯曲には『群盗』『ドン・カルロス』『オルレアンの少女』『ウィリアムテル』などが上げられる。
著「理想と人生」「散歩」など。

人生は戦場なり。戦いを宣告したうえは
書に向かっては書を征服し
人に向かっては人を征服し
事業に向かっては事業を征服するまで止むべからず。
何物、何事、何人に対しても仇討ちの覚悟をもって戦うべし。

死すとも勝つの覚悟あれ。

日本 小説家
Doppo Kunikida (国木田独歩).1871-1908

「男女相愛して肉欲に至は自然あり。肉交なき恋は事実にあらずして空想なり。」

1903年発表の『運命論者』『正直者』で自然主義の先駆となった人物。
雑誌『婦人画報』の創刊者としても有名。
自然主義の作品を集めた『独歩集』『運命』は高く評価されている。
著「武蔵野」「二老人」など。

あきらめない奴には、勝てないよ。

アメリカ 野球選手
Babe Ruth (ベーブ・ルース).1895-1948

「顔なんてどうでもいい。顔でホームランを打つわけじゃないからな。」

アメリカ合衆国、メジャーリーグのプロ野球選手。
国民的なヒーローで、今なお根強い人気がある人物。最初にアメリカ野球殿堂入りを果たした5人中の1人で、ホームラン50本以上のシーズン記録を初めてたてた。
逸話として、ヤンキースタジアムに来るものの、入場料がなく外に立ち続ける子供たちに対し、係員に札束を渡して「あの子達に入場券を買ってやれ」といった。

少にして学べば、則ち壮にして為すことあり
壮にして学べば、則ち老いて衰えず
老いて学べば、則ち死して朽ちず。

日本 武士・儒学者
(Issai Sato) 佐藤一斎.1772-1859

「春風もって人に接し、秋霜もって自ら慎む。」
学の大成者として幕府から認められ、儒学者の最高権威として崇められた人物。
門下生は6,000人と言われ、一斎から育った弟子として、佐久間象山・渡辺崋山・横井小楠らと、幕末に活躍した人材たちが多数いる。
著「言志四録」など。

世の中に成功の秘訣なるものがあるとすれば
それはよく他人の心の中に入り
他人の立場から物事を扱うことができる才能にほかならない。

アメリカ 企業家(フォード・モーターの創設者)
Henry Ford (ヘンリー・フォード).1751-1822

「自分で薪を割れ、二重に温まる。」

自動車会社フォード・モーターの創設者。
工業製品の製造における大量生産の方式を開発し、自動車を大衆に普及させることに貢献した。
カール・ベンツが自動車の産みの親であるなら、自動車の育ての親はヘンリー・フォードであると言われている。トーマス・アルヴァ・エジソンとは、友人関係にあった。
逸話として、1929年にエジソンの白熱電灯発明50周年の記念祭をヘンリーが主催。
電球発明時のメンローパークの研究所を建物からすべて再現し、82歳のエジソンを感動させた。

力不足だからこれはできないと思ってはいけない。
真心がその不足を補ってくれる。

日本 政治家
Yozan Uesugi (上杉鷹山).1751-1822

「してみせて 言って聞かせて させてみる。」

出羽国米沢藩の第9代藩主であった人物。
前藩主の怠惰により領地返上寸前になった米沢藩の、再生のきっかけを作りだした。江戸時代屈指の名君として知られている。
アメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディや第42代ビル・クリントンが、日本人の政治家の中で一番尊敬している人物として彼を挙げている。

顧客に求められたら決してノーと言ってはいけない。
相手が月をほしがったとしてもだ。
とにかくやってみる余地はある。
いずれにしても、ダメだったあとで 説明する時間はたっぷりある。

スイス 実業家(ザ・リッツ・カールトングループの創設者)
Cesar Ritz (セザール・リッツ).1850-1918

「ここを我が家と思ってください。」

ホテルリッツ(パリ)とカールトンホテル(ロンドン)の経営で大成功を収めた人物。
ホテル王"king of hoteliers, and hotelier to kings"と呼ばれていた。 飼いの家庭に生まれる。
15歳でウエイターになったのを皮切りに、多くの一流ホテルの現場でキャリアを積んだ。
顧客のニーズを細かくキャッチし確実に実現させることに力を入れ、サヴォイ・ホテルで支配人を務めた後、独立し1898年パリにホテル・リッツを創業。

頼むから黙って、ただ愛させてくれ。

イギリス 詩人
John Donne (ジョン・ダン).1572-1631

「誰のために鐘がなっているのかを見に行かせてはいけない」

イギリス詩の流れのなかに高くゆるぎない地位を築いた人物。大胆な機知と複雑な言語を駆使し、恋愛詩、宗教詩、講話など幅広い作品を書いた。
著「songs and sonnets」「死よ驕るなかれ」など。

世の人は 我を何とも 言わば言え

我なす事は 我のみぞ知る。

日本 政治家
Ryoma Sakamoto (坂本龍馬).1836-1867

「何でも思い切ってやってみることですよ。どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、骨となって一生を終えるのだから。」

貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中・海援隊 (浪士結社)を結成。
大政奉還の成立に尽力した人物。司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』の主人公とされて、小説やドラマに度々取り上げられ生前より死後に有名になった。
逸話として、日本海海戦(日露戦争時)の直前に、龍馬が皇后の夢枕に立ち、「日本海軍は絶対勝てます」と語ったという話がある。
この話が全国紙に掲載されたため、坂本龍馬の評判が全国に広まる事となった。
愛する二人のお互いに対する理解は
単なる知識以上のものである。

なぜなら愛によって結びついたものは

他の関係のように捨て去ることも
曇らせることもできないからだ。
イギリス 小説家
Robert Louis Balfour Stevenson (ロバート・ルイス・スティーヴンソン).1850-1894

「愛する二人はほとんど無表情で、言葉はなおさら少なく向かい合い、二人の良い所も悪い所も分かち合おうと努力し合い、互いの心を喜び捧げ持つ。」
児童文学作家として著名な人物。『宝島』、『誘拐されて』などが代表作である。
彼の書いた異色の作品としては、『ジキル博士とハイド氏』がある。
著「宝島」「ジキル博士とハイド氏」など。
もしも人から、なぜ彼を愛したのかと問い詰められたら
「それは彼が彼であったから、私が私であったから」と
答える以外には、何とも言いようがないように思う。
フランス 哲学者
Michel Eyquem de Montaigne (ミシェル・エケム・ド・モンテーニュ).1533-1592

「心は正しい目標を欠くと、偽りの目標にはけ口を向ける。」

16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者。
現実の人間を洞察し人間の生き方を探求して、1592年に死去するまで綴り続けた主著『エセー』の著者として有名。17世紀のデカルトやパスカルにも多大な影響を与えた。
著「エセー(随想録)」など。
花はその花弁のすべてを失って
果実を見いだす。
インド 詩人・思想家
Rabindranath Tagore (ラヴィーンドラナート・タゴール).1861-1941

「間違いを犯すのを怖れて、戸を閉ざせば、真実も締め出されてしまう。」

アジア人として初のノーベル文学賞を受賞した人物。
インド国歌及びバングラデシュ国歌の作詞・作曲者も行っている。マハトマ・ガンディー、ロマン・ロラン、アルバート・アインシュタインら世界の知識人との親交も深かった。
薔薇はなぜという理由もなく咲いている。
薔薇はただ咲くべく咲いている。
薔薇は自分自身を気にしない。
人が見ているかどうかも問題にしない。
ドイツ 神秘主義的宗教詩人
Angelus Silegius (アンゲルス・シレジウス).1624-1677

「永遠の言葉が語っていることをあなたの中で聴こうと思うならば、まずあなたは完全に聴くことをやめなければならない。」

NO DATE
私たち一人一人が航海している。
この人生の広漠とした大洋の中で
理性は羅針盤、情熱は疾風。
スイス 精神科医・心理学者
Alexander Pope (アレキサンダー・ポープ).1688-1744

簡潔な格言風の韻文で書かれた詩論で、当時の上流階級には好評を博した人物。
生来虚弱で学校教育を受けず、独学で古典に親しみ、幼少の頃から詩作を試みたと言われている。
二つの個性の出会いは
二つの化学物質の接触にも似ている。
何らかの反応をすれば、両方が変質してしまう。
スイス 精神科医・心理学者
Carl Gustav Jung (カール・グスタフ・ユング).1875-1961

「内面で向き合わなかった問題は、いずれ運命として出会うことになる。」

深層心理について研究し、分析心理学の理論を創始した人物。
当時の精神医学ではほとんど治癒することが出来なかった、様々な精神疾患に対する療法の確立を目指した。
例えば、精神疾患者らの語るイメージに不思議と共通点がある事、それが世界各地の神話などに一致する点が多い事を発見し、人間の無意識の奧底には人類共通の素地(集合的無意識)が存在すると考えた。
また晩年、共時性(シンクロニシティー)の概念を提起した。 著「心理学と錬金術」「結合の神秘」など。
我々は虹を見ても、未開人が抱くような敬虔な
気持ちを持つことがない。

なぜならば、虹がどうしてできるのかを知っているからだ。

我々はそうしたものを詮索することによって
獲得したのと、同じだけのものを失っている。
アメリカ合衆国 小説家
Mark Twain (マーク・トウェイン).1835-1910

「アダムがリンゴを欲しがったのは、そのリンゴが食べたかったからではない。
ただそれが禁じられていたから、というだけのことだ。」

著名なアメリカ人作家。本名、サミュエル・ラングホーン・クレメンズ
代表作として『トム・ソーヤーの冒険』がある。
「マーク・トウェイン」という名は、川を蒸気船が航行する際の測深手の水先人への合図
“by the mark, twain”(2ファゾム:約3.6m)から採った
(これは蒸気船が座礁せず安全に通航できる限界の浅さ)。
著「トム・ソーヤーの冒険」「ハックルベリー・フィンの冒険」など。
作り物の自分を愛されるより、ありのままの自分を憎まれる方がましだ。
フランス 小説家
Andre Paul Guillaume Gide (アンドレ・ポール・ギヨーム・ジッド).1869-1951

「ある年齢になると、友人を選ぶよりは、友人に選ばれる場合のほうが多い。」

1947年にノーベル文学賞を受賞した人物。キリスト教倫理からの解放を訴えた作品は、フランス哲学・文学に多大な影響を与えた。厳格なプロテスタントの家庭に生まれたことが影響している。
横光利一の純粋小説論は、ジッドの『贋金つくり』が影響していると言われている。
著「背徳者」「一粒の麦もし死なずば」「法王庁の抜穴」など。
恋のことなら、どんなにロマンチックでもいいんです。
アイルランド 劇作家
George Bernard Shaw (ジョージ・バーナード・ショー).1856-1950

「人が虎を殺そうとする場合には、スポーツといい、 虎が人を殺そうとするときは兇猛という。」

イギリス近代演劇を確立した人物。40代にして、劇作家としての才能を認められた遅咲きの人物でもある。1925年にノーベル文学賞を受賞、はじめは固辞していたが、賞金を寄付するという条件で受賞することになった。 逸話として、あなたが一番影響を受けた本は何ですかという質問に対して『銀行の預金通帳だよ』と答えた。
著「ピグマリオン」「聖女ジョウン」など。
上下欲を同じくする者は勝つ。
中国春秋時代 武将
Sonbu (孫武).紀元前5世紀頃

「勢とは、利に因りて、権を制するなり。」

兵家の代表的人物。孫子とも称されており、有名な兵法書『孫子』の作者と伝えられる。
兵法書『孫子』は現代社会、特にビジネス戦略において通じるものがあり、解説書が数多く出版されている。
著「孫子」
お前の道を進め、人には勝手なことを言わせておけ。
イタリア 哲学者
Dante Alighieri (ダンテ・アリギエーリ).1265-1321

叙事詩「神曲」および詩文集「新生」を著した人物。
イタリア文学最大の詩人と称されている。ルネサンスの先蹤ともいわれる。
著「新生」「神曲」など。
負けても終わりではない。やめたら終わりだ。
アメリカ 第37代大統領
Richard Milhous Nixon (リチャード・ミルハウス・ニクソン).1913-1994

第37代アメリカ合衆国大統領であった人物。
ウォーターゲート事件により、任期中に辞任した唯一のアメリカ大統領(20世紀において)。
最後は辞任というかたちになったが、任期中にベトナム戦争を終結させた功績がある。
この世には、完全無欠の物も無ければ、全然無用の品も無い。
我々の親にも子にも友人にも欠点があれば、 我々の憎み嫌う人にも特長がある。
日本 農学者・教育者
Nitobe Inazou (新渡戸稲造).1862-1933

「われ太平洋の橋とならん」

前、五千円札の肖像として有名な人物。国際連盟事務次長も務めていた。
札幌農学校(現在の北海道大学)の二期生として入学し、東京大学に進学した。「太平洋のかけ橋」になりたいという理由で渡米し、ジョンズ・ホプキンス大学に入学。その後、札幌農学校助教授に任命され、ジョンズ・ホプキンス大学を中途退学しドイツへ留学。
1900年にかの有名な、『武士道』を英文で書き上げ、各国語に訳され世界中でベストセラーとなった。
著「武士道」「農業本論」など。
ある事を真剣に3時間考えて、 自分の結論が正しいと思ったら
3年かかって考えてみたところでその結論は変わらないだろう。
アメリカ 第32代大統領
Franklin Delano Roosevelt (フランクリン・デラノ・ルーズベルト).1913-1994

第37代アメリカ合衆国大統領であった人物。
任期中に世界恐慌と第二次世界大戦を経験し、20世紀の国際政治における中心的人物の一人。
米国史上唯一の4選された大統領であり、重度の身体障害も抱えていた。
恋愛とは二人で愚かになることだ。
フランス 作家
Ambroise-Paul-Toussaint-Jules Valery
(アンブロワズ=ポール=トゥサン=ジュール・ヴァレリー).1871-1945


「無能が私の根源だ」

フランス第三共和政を代表する知性と称される人物。
アルベルト・アインシュタインの相対性理論をいちはやく理解した詩人として、日本で知られるようになった。1945年死去し、シャルル・ド・ゴールの命により、戦後フランス第一号の国葬となった。
著「若きパルク」「海辺の墓地」など。
一番美しい絵は寝床のなかでパイプをくゆらしながら
夢みて決して実現しない絵だ
オランダ 画家
Vincent van Gogh (フィンセント・ファン・ゴッホ).1853-1890

「確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動せよ。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる。」

ポスト印象派の画家として有名な人物。現在において、極めて高い評価を得ているが、不遇の生涯を送った。生きている間に売れた絵はたった1枚『赤い葡萄畑』だけであった。
弟テオドール(通称テオ)の援助によって生活をし続けた。 最後は、猟銃で自殺を図り、37歳という短い生涯を閉じた。
死後、彼の作品は高額で取引され、代表作でもある「医師ガシェの肖像」は1990年に競売で、8250万ドル(当時のレートで約124億5000万円)で、当時の大昭和製紙名誉会長であった齊藤了英に競り落とされた。 逸話として、ポール・ゴーギャンに「自画像の耳の形がおかしい」と言われ、自らの左の耳朶を切り取り、女友達に送り付けた。 奇行が目立ち、自らサン=レミ=ド=プロヴァンスの精神病院に入院した。
恋する男と女が一緒にいて、少しも退屈しないのは
いつも自分たちの事だけを話題にしているからだ。
フランス 貴族
Francois VI, duc de La Rochefoucauld (ラ・ロシュフコー).1613-1680

「われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない。」

NO DATE
著「箴言集(しんげんしゅう)」など。
良い行動が悪い行動になることがある。
狼を助ければ、羊を殺すことになるのだ。
フランス 小説家・政治家
Victor Hugo (ヴィクトル・ユゴー).1802-1885

「黒い光が見える」最期の言葉

フランス文学史上屈指の名作といわれている『レ・ミゼラブル』を執筆した人物。作家として大成功を収めており、今日まで彼の作品は残っている。
しかし、政治家としては逆境の連続で、幼少のころからずっと不幸の連続であった。
逸話として、ラクロワ出版社に出した世界一短い手紙がある。ユゴーが出した手紙に書かれていたのは
「?」、それに対しての返答が「!」のみであった。これは『レ・ミゼラブル』の売れ行きを尋ねる手紙で、「売れている?」に対して「ばっちり!」という意味だった。
著「レ・ミゼラブル」など。
一番多忙な人間が一番多くの時間をもつ。
スイス 神学者
Alexandre Rodolphe Vinet (アレクサンドル・ビネ).1797-1847

NO DATE
著「Life and Writings of A. Vinet」など。
私は実験において失敗など一度たりともしていない。
これでは電球は光らないという発見を いままでに、2万回してきたのだ。
アメリカ 発明家
Thomas Alva Edison (トーマス・アルヴァ・エジソン).1847-1931

「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」

世界の発明王として知られている人物。一般的に白熱電球の発明者のイメージがあるが、実際発明したのはJ.W.スワンである。彼はフィラメントに竹を使って電球を改良し、電灯の事業化に成功した人物である。その他にも、電話機の発明では、グレアム・ベルと激しく争った。ベルが電話機の発明者とされているが、現在の電話機の原型は、エジソンが発明したカーボンマイクを使った方式となっている。アインシュタインと並ぶ、天才として今なお語られる偉人である。
逸話として、エジソンの死を弔うために、全米ではエジソンの功績を讃え、1分間電灯が消された。
チャレンジして失敗することを恐れるよりも、何もしないことを恐れろ。
日本 実業家・技術者(本田技研工業の創業者)
Honda Souichirou (本田宗一郎).1906-1991

「社長なんて偉くも何ともない。課長、部長、包丁、盲腸と同じだ。要するに命令系統をはっきりさせる記号に過ぎない。」

日本を代表する起業家であり技術者。本田技研工業創始者。ソニーの井深大などと並んで、戦後日本を代表する技術者・起業家として世界的に有名。 1946年に浜松市に本田技術研究所設立し、所長に就任。1948年に本田技研工業株式会社を設立し、代表取締役就任。翌年、後にホンダの副社長となる藤沢武夫と出会う。経営面を任せ、二人でホンダを世界的大企業に育て上げた。
逸話として、勲一等瑞宝章受賞授賞式の際に、「技術者の正装とは真っ白なツナギ(作業着)だ」と言い、その服装で出席しようとした。しかし、周囲から止められ、礼服で出席することとなった。
障害は不便ですが、不幸ではありません。
アメリカ 教育者・社会福祉事業家
Helen Adams Keller (ヘレン・アダムス・ケラー).1880-1968

「人生は恐れを知らぬ冒険か、無か。」

障害を背負いながらも、世界各地を歴訪し、身体障害者の教育・福祉に尽くした人物。日本では「奇跡の人」というタイトルで、何度か舞台化・書籍化された。
著「わたしの生涯」など
男は人生を知るのが早すぎるし、女は知るのが遅すぎる。
アイルランド 作家
Oscar Fingal O’Flaherty Wills Wilde
(オスカー・フィンガル・オフレアティ・ウィルズ・ワイルド).1854-1900


「女は男に欠点があるからこそ愛するのだ。男に欠点が多ければ多いほど、女は何もかも許してくれる。我々の知性さえもだ。」

ヴィクトリア朝時代イギリス文学作家の一人。オックスフォード大学で学び、社会思想家のジョン・ラスキンや批評家で小説家のウォルター・ペイターらの影響を受ける。男性同士間における性行為の罪で逮捕され、過酷な刑務所暮らしが続いたため、晩年は創作意欲を喪失し、特筆すべき作品をうみだせなかった。
著「ドリアン・グレイの肖像」「真面目の美徳」「サロメ」など。
心に残るのは、千の忠告より一つの行為だ。
ノルウェー 劇作家
Henrik Ibsen (ヘンリク・イプセン).1769-1821

「人間は自分の現在と未来によってしか、自分の過去を償うことが出来ない。」

強い個人主義に立ち、婦人問題・社会問題を取り上げた散文劇によって、後世の演劇に多大なる影響を与えた人物。 著「人形の家」「民衆の敵」「野鴨」など。
歴史とは、合意の上に成り立つ作り話以外の何物でもない。
フランス 第一帝政の皇帝
Napoleon Bonaparte (ナポレオン・ボナパルト).1769-1821

「生きている兵士のほうが、死んだ皇帝よりずっと価値がある。」

いわずと知れた、フランス革命後のフランスをまとめあげた人物。砲兵将校としてフランス革命に参加し頭角をあらわし、軍人からフランス第一帝政の皇帝にまで上り詰めたが、最後は孤島セントヘレナ島に幽閉された。 皇帝ナポレオン時代にフランス民法典、別名『ナポレオン法典』を制定。
「万人の法の前の平等」「国家の世俗性」「信教の自由」「経済活動の自由」等の近代的な価値観を取り入れた画期的なものであり、その後の近代的法典の基礎とされた。幾度かの修正が加えられ、現代のオランダ・ポルトガル・日本などの民法に影響を与えている。
1821年に死去し、1840年に遺骸がフランスに返還された。パリのオテル・デ・ザンヴァリッド(廃兵院)に葬られている。現在でもフランスを代表する英雄として抜群の知名度を誇っている。
三つのマッチを一つ一つ擦る夜のなか
はじめは君の顔を一度きり見るため
つぎのは君の目を見るため
最後のは君の唇を見るため
残りの暗闇は今の全てを思い出すため 君を抱きしめながら
フランス 詩人
Jacques Pr´evert (ジャック・プレヴェール).1900-1977

NO DATE
著「やぶにらみの暴君」など
教わって覚えたモノは浅いけれど
自分で苦しんで考えたことは深いんですよ。
日本 企業家(シャープ創設者)
Hayakawa Tokuji (早川 徳次).1893-1980

「私自身について言うなら、よいアイデアの生まれるのは、儲からなくてなんとかしようと苦しんでいるときである。」

シャープ創設者であり、シャープペンシルの発明者でもある人物。実の兄と早川兄弟社を設立し、ベルトに穴を開けずに使えるバックル「徳尾錠」、現在のシャープペンシル「金属繰り出し鉛筆」、国産第1号機の「鉱石ラジオ」などの発明により、業績を拡大。それに伴い、早川金属工業研究所・早川電機工業と社名をかえ、扱う商品も多角的になっていった。ラジオだけでなくテレビや電卓など総合家電メーカーへの道を進み、現在のシャープとなる。
SHARPの由来
早川は大正時代に未開発分野であった金属文具の製作技術の研究改良を進め、金属繰り出し鉛筆を発明。 エバー・レディー・シャープペンシルと命名し、一世を風靡した。これが現在の“シャープ”の社名の由来となっている。
二十代の恋は幻想である。
三十代の恋は浮気である。
人は四十代に達して、初めて真のプラトニックな恋愛を知る。
ドイツ 劇作家・小説家・科学者・哲学者・政治家
Johann Wolfgang von Goethe (ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ).1749-1832

ヴァイマル古典主義を代表する作家の一人。
特に文学において優れた才能を発揮した人物。『若きウェルテルの悩み』で一躍名声を博し、詩・小説・戯曲などに多岐に渡り名作を生んだ。その傍ら、科学者として人体解剖学・化学・地質学・植物学・光学について研究し、著作している。また、シューベルト『魔王』・モーツァルト『すみれ』などの音楽の詩も手掛けている。 著「魔王」「若きウェルテルの悩み」など。
愛する..それはお互いに見つめ合うことではなく
一緒に同じ方向を見つめることである。
フランス 作家・飛行機乗り
Antoine de Saint-Exupery (アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ).1900-1944

パイロット(郵便輸送)として、欧州-南米間の飛行航路開拓などにも携わった。
飛行機乗りでもあり作家でもある異色の人物。 兵役(志願)で飛行連隊に所属。尋常ではない経歴で軍用機操縦士(士官)となる。退役して自動車販売員などに就業した後、民間航空界に入り、 26歳で作家として本格的にデビューした。 デビュー作である男女間の恋愛を描いた唯一の作品、『南方郵便機』は、構成技法その他の理由から、あまり高く評価されていない。
しかし、彼の代表作である『夜間飛行』『人間の土地』はベストセラーであり、アニメーション作家の宮崎駿がカバー画を描いていることでも有名である(日本で出版されているもの)。
著「星の王子さま」「人間の土地」など。
最も強いものが生き残るのではない。
最も賢いものが残るのでもない。
唯一、生き残るのは変化するものである。
イギリス 自然科学者
Charles Robert Darwin (チャールズ・ロバート・ダーウィン).1809-1882

「平気で1時間を無駄にする者は、人生の価値をまだ見出していない。」

現代科学における進化論の方向性を確立した人物。進化論以外でも生物学上のいくつもの重要な功績を残した。 植物学教授の勧めで、測量船ビーグル号で南半球を周航し、動植物・地質を調査した。ガラパゴス諸島もこの際に訪れている。後に、生物の進化の概念をまとめた『種の起源』を発表し。当時のキリスト教より大変な批判を浴びた。
現在では偉大な英国人としてその功績が認められている。 彼は、製陶業で有名なジョシュア・ウェッジウッドを母方の祖父に生まれた。もちろん、現在でも幅広い支持を受けているWEDGWOOD(ウェッジウッド)である。
著「種の起源」「ビーグル号航海記」など。
愛する女と一緒に日を送るよりは
愛する女のために死ぬ方がたやすい。
イギリス 詩人
George Gordon Byron (ジョージ・ゴードン・バイロン).1788-1824

「女は美しくて、甘ったるい嘘つきだ。男は、すぐに彼女を信じてしまうだろう。」

NO DATE
著「異端者」「ダンテの予言」など。
仕事は自分で探して、創り出すものだ。
与えられた仕事だけをやるのは、雑兵だ。
日本 戦国大名
Nobunaga Oda (織田信長).1534-1582

「是非に及ばず。」

戦国時代から安土桃山時代の大名。古渡城主の織田信秀の二男(三男という説もある)として生まれる。父の死後、織田信行との家督争いに勝利し織田家を継ぐ。その後、かの有名は桶狭間の戦いを制し、今川家を破った。 破竹の勢いで上洛を果たし、信長包囲網なるものにも屈せず天下布武を推し進めていった。しかし、最後は家臣の明智光秀の謀略によって本能寺で自害した。
プロジェクトを組むときに大切なことは二つ。
“キーマン”を見つける。 そしてその人がやる気になるよう“説得”する。 それができれば、目的は半ば達成したようなもの。
日本 起業家(ソニー創始者の一人)
Masaru Ibuka (井深 大).1908-1997

「小さい会社を作って、またいろいろチャレンジしたいね。」

逝去直前の言葉 日本を代表する企業家。ソニー創始者の一人。
生前の盟友であった本田技研工業の本田宗一郎と並び称される戦後日本を代表する起業家として世界的にも有名な人物。1946年に資本金19万円で義父が社長・井深が専務(技術担当)・盛田昭夫が常務(営業担当)として東京通信工業(後のソニー)を創業。新しい独自技術の開発にチャレンジし、テープレコーダー・トランジスタラジオ・など数々の日本初・世界初を生み出してきた。

SONYの由来
音『SONIC』の語源となったラテン語の『SONUS (ソヌス)』と小さいとか坊やという意味の『SONNY』から来ている。簡単な名前で、どこの国の言葉でもだいたい同じように読めて、発音できることが大事という思想のもと考案された。
僕はおまえが好きだった。そして今でも好きなんだ。
たとえ世界が木っ端微塵になったとしても、その残骸の破片から
恋の想いは炎となって燃え上がる。
ドイツ 詩人
Heinrich Heine (ハインリッヒ・ハイネ).1797-1856

「恋に狂うとは、ことばが重複している。恋とはすでに狂気なのだ。」

文学思潮の流れの中ではロマン主義に属し、同時に進化させた人物。ドイツの作家・詩人の中で最も多国語に翻訳された人ともいわれている。日常的な言葉で文学を語り、文芸記事を新聞・雑誌に寄稿、紀行も残している。
著「歌の本」「タンホイザー伝説」など。
見るためだけの目は、世界にたいして盲目となる。
インド 宗教家
Mohandas Karamchand Gandhi (モハンダス・カラムチャンド・ガンディー).1869-1948

「握り拳と握手はできない。」

インド独立の父として知られている人物。南アフリカで弁護士をする傍ら公民権運動に参加。 帰国後はインドの英国からの独立運動を指揮し、非暴力・不服従を提唱し牽引した。 その姿勢は世界中に大きな影響を与え、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、ダライ・ラマ14世も彼の姿勢に倣ったと表明している。 1948年、狂信的なヒンドゥー原理主義者によって暗殺された。 1937年から1948年にかけて、計5回ノーベル平和賞の候補になったが、本人が固辞したため受賞には至っていない。 インドでは、ガンディの誕生日にちなんで、毎年10月2日が国民の休日となっている。
著「The Story of My Experients with Truth」など。
義を見てせざるは勇なきなり
中国 思想家
Koshi(孔子).紀元前551年-紀元前479年

「学を好み、死を守りて道を善くす。」

シャーマニズム的な原始儒教を体系化し、一つの道徳・思想に昇華させ、儒教を大成させた人物。根本義にあるのは「仁」である。仁が様々な場面において貫徹されることにより、道徳が保たれると説いた。あくまでも思想や道徳を説いており、「子は怪、力、乱、神を語らず」という言葉からも知られるように宗教性は希薄であった。 氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。孔子とは尊称(子は先生という意味)。
著「論語」など
音感がいいとか悪いとか、そんなことはどうでもいい。
大体、画才があるやつにロクな絵描きはいないんだから。
センスなんかに頼るから駄目なんだ。
日本 芸術家
Taro Okamoto(岡本太郎).1911-1996

「私は、人生の岐路に立った時、いつも困難なほうの道を選んできた。」

日本を代表する芸術家。大阪の万国博覧会のシンボル「太陽の塔」を創ったことで有名。スキー愛好家で、三浦雄一郎と親交があった。スキーについて「どんな急斜面でも直滑降で滑るのがスキーの醍醐味だ」と語っている。腕前はプロ並みだったと言われている。
作品「太陽の塔 in 大阪府万博記念公園」・「若い時計台 in 東京都中央区銀座数奇屋」・「近鉄バファローズ“猛牛マーク”」など。
「僕はずっと山に登りたいと思っている。…でも明日にしよう」

おそらくあなたは永遠に登らないでしょう。
アメリカ 教育学者
Leo F Buscaglia (レオ・ブスカリア).1924-1998

「何かをやってみることは、失敗の危険を冒すことだ。
しかし、危険を冒さない人は何も行わず、何も得ず、無に等しい。苦しみや悲しみを避けることはできても学ぶことも、感じることも、変化することも、成長することも 生きることも、そして 愛することもできない。」

米国の教育学者。いのちについての学び方を教える絵本『葉っぱのフレディ』は世界的に知られている。大学で教鞭を採っていた時、教え子の自殺という事件に遭遇した。それ以後、いのちの教育・いのちのかけがえのなさ・人を愛することなどに関心を抱き、「ラブ・クラス」(Love 1A)という単位の出ないゼミを主催。このゼミでの演習成果より、最初の著書『LOVE』が生まれた。愛こそ世界の共通語だというのが、彼の信念である。 著書は世界17ヵ国の言語で1,800万部の売り上げを記録した。
著「LOVE EACHOTHER」「もっと素直にすてきな愛をー愛のフィロソフィー」「葉っぱのフレディーいのちの旅」など。
青年よ、大志を抱け!
それは金銭に対してでも、自己の利益に対してでもなく、また世の人間が名声と呼ぶあのむなしいものに対してでもない。
人間が人間として備えていなければならぬ、あらゆることをなし遂げるため、青年よ大志を抱け。
アメリカ 農学博士
William Smith Clark (ウィリアム・スミス・クラーク).1826-1886

「校則はひとつでよい。それはBE GENTLEMAN(紳士たれ)である」

米国マサチューセッツ農科大の学長。
日本側の熱烈な要請により農学・化学・英語教師そして教頭として、北海道開拓のための農業技術者を養成することを目的とする札幌農学校(現・北海道大学)に赴任。赴任期間たったの8ヶ月ににも関わらず、日本の国際教育の土台を築き、後世の教育に多大な影響を与えた。
手の上なら尊敬のキス。額の上なら友情のキス。
頬の上なら厚情のキス。唇の上なら愛情のキス。
閉じた目の上なら憧憬のキス。掌の上なら懇願のキス。
腕と首なら欲望のキス。
さてそのほかは、みな狂気の沙汰。
オーストリア 劇作家
Franz Grillparzer (フランツ・グリルパルツァー).1791-1872

「自分の限界を知る者こそ自由な者である。自分を自由だと妄想する者は、その妄想の奴隷である。」

NO DATE
著「サッフォー」「金羊毛皮」「海の波恋の波」「哀れな音楽師」など。
人間は判断力の欠如によって結婚し
忍耐力の欠如によって離婚し
記憶力の欠如によって再婚する。
フランス 劇作家
Armand Salacrou (アルマン・サラクルー).1899-1989

「生きる、それは自分の運命を発見することである。」

NO DATE
著「アラスの見知らぬ女」「地球は丸い」「デュラン大通り」など。
渋柿は渋柿として使え。継木をして甘くすることなど小細工である。
日本 戦国大名
Shingen Takeda(武田信玄).1521-1573

「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり」

戦国時代の大名で、甲斐国の守護。越後の上杉謙信と5度にわたって川中島の戦いで干戈を交えたことで有名。領国は一時、甲斐・信濃・駿河・上野・飛騨・美濃・三河・遠江の一部まで拡大。戦国最強と謳われた騎馬隊と戦術を駆使し“甲斐の虎”と呼ばれていた。また、孫子の兵法に通じており旗印を「風林火山」としていた。 晩年の信玄は京都を目指し上洛の軍を起こした。三方ヶ原の合戦では織田・徳川連合軍を翻弄して圧倒的な勝利を収めたが、病のため夢むなしく信州の伊那駒場で53歳の生涯を閉じた。
戦争をやって、いがみ合っている国のリーダーをリングの上にみな引っ張ってくるんだ。
そうしてトランクス一枚の裸で、徹底的にやらせるという具合にいかないもんかね。
イギリス 俳優・脚本家・映画監督
Charles Spencer Chaplin (チャールズ・スペンサー・チャップリン).1889-1977

「本当のことを言えば、私は心の底では喜劇俳優なんかより偉大な悲劇俳優になりたかった。」

映画の黎明期に数々の作品を創り上げた喜劇王。アメリカのハリウッドを中心に活躍し、バスター・キートンとハロルド・ロイドと並び、世界の三大喜劇王と呼ばれている。
監督・主演だけでなく脚本や演出も担当し、わずか数秒のシーンを納得のいくまで何百テイクと撮り直したことなどから、業界随一の完璧主義者と呼ばれていた。
逸話として、手塚治虫は生来、「どうすれば、人々の記憶に残る漫画が描けるのですか?」という質問に対して決まって次のように答えている。「とにかくチャップリンの映画を観ろ。あれに全ての答えがある。」 作品「黄金狂時代」「モダン・タイムス」「独裁者」など。
常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。
ドイツ 理論物理学者
Albert Einstein (アルベルト・アインシュタイン).1879-1955

「学校で学んだことを一切忘れてしまった時になお残っているもの、それこそ教育だ。」

20世紀最大の理論物理学者。20世紀に於ける物理学史上の2大革命は“量子力学”と“相対性理論”。
その相対性理論の基礎をほぼ独力で築きあげた。またニュートンの物理学を根本から書き直した。1921年にノーベル物理学賞を受賞。平和主義者としても知られている。 逸話として、ノーベル賞受賞後、ある少女に数学を教えていたことがあった。少女の母親が、娘の家庭教師がアインシュタインと知って、慌てて彼の元に訪れた。しかし、彼は「私が彼女に教える以上のことを、私は彼女から教わっているのだから、礼には及びません」と返答した。
ディズニーランドはいつまでも未完成である。
現状維持では、後退するばかりである。
アメリカ 漫画家・アニメ製作者・映画監督・実業家
Walt Disney(ウォルト・ディズニー).1901-1966

「いつでも掃除が行き届いていて、おいしいものが食べられる。そんな夢の世界を創りたい。」

世界的に有名なアニメーションキャラクター“ミッキーマウス”の生みの親。 世界初の長編アニメ「白雪姫」を手がけ、以後のアニメーションの芸術的、興行的部分において多大なる影響を与えた。 大の鉄道マニアの一面があり、彼が創った夢の国“ディズニーランド”には必ず鉄道が走っている。 作品「蒸気船ウィリー(ミッキー・マウス初主演作)」「白雪姫」「シンデレラ」など。
男が本当に好きなものは二つ... "危険"と"遊び"である。
そしてまた、男は女を愛する
それはもっとも"危険な遊び"であるからである。
ドイツ 哲学者
Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ウィルヘルム・ニーチェ).1844-1900

「私の思想は、100年後に理解されるであろう。」

生の哲学、実存主義の先駆者。ギリシア古典学、東洋思想に深い関心を示し、機械時代・大衆支配時代に対する批判と克服を図り、善悪を超越した永遠回帰のニヒリズムに至った。そして、その具現者として超人の出現を求めた。 随所にアフォリズムを用いた散文的表現による哲学の試みには、文学的価値も認められている。 著「ツァラトゥストラはかく語りき」「善悪の彼岸」「道徳の系譜学」「権力への意志」など。
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